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~東国三社参り①~

おはこんばんにちは〜★

ぱどまchの はよ です(^o^)♪

 

先日、東国三社巡りをしに茨城県〜

千葉県と三社にお参りしに行って

きました(^o^)

 

そもそも東国三社巡りってなんでしょうか?

 

○東国三社巡りとは

 

鹿島神宮、香取神宮、息栖神社

 

茨城県と千葉県にまたがる三つの神社を巡る

ことを言います\(^o^)/

それぞれのパワースポットを線で結ぶと直角

二等辺三角形ができ、その中では不思議な事

が起こるといううわさもあるようです。

 

 

伊勢神宮への参拝が大人気だった江戸時代。

 

伊勢神宮への参拝を「お伊勢参り」

東国三社に参拝することは「下三宮参り」

と称され関東より北の人は、お伊勢参りの

帰りに立ち寄る慣習があったそうです。

三社を巡る「東国三社参り」は、江戸時代に

「お伊勢まいりの禊の三社参り」として

関東以北の人が伊勢神宮の参拝を終えた後、

帰る途中で東国三社を参拝するという風習

から生まれたそうです。

 

今では、伊勢神宮に一度参拝したのと同じ

御利益を頂けると参拝する人が多くいるよう

ですね(^o^)♪

この三社参りは「ご利益が凄い!」と、当時

から大人気だったとか…。

三社はいずれも『古事記』『日本書紀』に

おける葦原中国平定に関する神様を

お祀りしています(^o^)!

また明治以前に「神宮」の称号を与えられて

いたのは「伊勢神宮」と「鹿島神宮」

「香取神宮」だけだったことから、歴史も

古く格式の高い神社ですね〜(*^^*)

 

①鹿島神宮

 

鹿島神宮は2600年以上前に創建されたとい

う関東最古の神社だそうで全国に約600社あ

るという鹿島神社の総本社といわれています

日本の初代天皇である神武天皇元年の創建で

とても長い歴史を持つ由緒ある神社です。

 

御祭神は、武甕槌大神

(たけみかつちのおおかみ)で、

 

同じく東国三社のひとつである

 

香取神宮の御神祭である経津主大神

(ふつぬしのおおかみ)

 

とともに出雲の国に降り立ち、その後この地

を譲り受けたと言われています。

神武天皇が東方面へ遠征していた時にピンチ

に陥ってしまいましたが…武甕槌大神により

その窮地から脱出することができたのです。

この恩恵に感謝の意を示すために神武天皇

は即位した年武甕槌大神をこの地にお祀り

したという鹿島神宮創建の言い伝えが

残っているそうです。

 

鹿島神宮の御神祭である武甕槌大神は

日本神話の中でも最強の神とされていて、

勝負運のご利益が得られるとして人気を博

しています。勝負といってもさまざまで、

スポーツや賭け事などはもちろん、恋愛や

仕事、受験などの勝負運も含まれているそう

で、鹿島アントラーズの皆さんもよくご祈祷

を受けに毎年お参りにこられているそうです

 

 

 

○武甕槌大神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

タケミカヅチ(タケミカヅチノオ)は、

日本神話に登場する神。雷神、かつ剣の神

とされる。後述するように相撲の元祖とも

される神である。

『古事記』では、

「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」

「建御雷神(たけみかづちのかみ)」

『日本書記』では、「武甕槌」や

「武甕雷男神」などと表記される。

単に「建雷命」と書かれることもある。

『古事記』では「建布都神(たけふつの

かみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」

とも記される。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

の主神として祀られていることから鹿島神

とも呼ばれる。

鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起

日本神話に登場する神。雷神、かつ剣の神

こす大鯰を御するはずの存在として多くの例

で描かれている。

 

○葦原中国平定

「出雲の国譲り」の段においては伊都之尾羽

張(イツノオハバリ)の子と記述されるが

[前述どおり伊都之尾羽張は天之尾羽張の

別名である。アマテラスは、タケミカヅチか

その父イツノオハバリを下界の平定に派遣し

たいと所望したが、建御雷が天鳥船(アメノ

トリフネ)とともに降臨する運びとなる。

出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り

立ったタケミカヅチは、を波の上に逆さに

突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐

をかいて、大国主(オオクニヌシノカミ)に

対して国譲りの談判をおこなった。大国主

は、国を朝廷に譲るか否かを子らに託した

子のひとり事代主はすんなり服従した。

 

もう一人、建御名方神(タケミカナタ)

諏訪神社上社の祭神は、建御雷に力比べを

もちかけ、手づかみの試合で一捻りにされて

恐懼して遁走し国譲りがなった。このときの

建御名方神との戦いは相撲の起源とされて

いる。

 

『日本書紀』では葦原中国平定の段で下界

に降される二柱は、武甕槌とフツヌシである

(ちなみに、この武甕槌は鹿島神社の主神

フツヌシは香取神社の主神となっている。

上代において、関東・東北の平定は、この

二大軍神の加護に祈祷して行われたのでこの

地方にはこれらの神の分社が多く建立する。

『日本書紀』によればこの二柱がやはり出雲

の五十田狭小汀(いたさのおはま)に降り

立って、十握の剣(とつかのつるぎ)を砂に

突き立て大己貴命(おおあなむち、オオクニ

ヌシのこと)に国譲りをせまる。

 

タケミナカタとの力比べの説話は欠落するが

結局、大己貴命は自分の征服に役立てた

十握の剣(とつかのつるぎ)広矛を献上して

恭順の意を示す。ところが、二神の前で大己

貴命がふたたび懐疑心を示した(翻意した?)

ため、天つ神は、国を皇孫に任せる見返りに

立派な宮を住まいとして建てるとして大己貴

命を説得した。

 

また同箇所に、二神が打ち負かすべく相手と

して天津甕星の名があげられ、これを征した

神が、香取に座すると書かれている。ただし

少し前のくだりによれば、この星の神を服従

させたのは建葉槌命(たけはづち)であった

 

 

まだまだ東国三社巡りの記事続きます〜♪

ここまでお読み頂きありがとうございます

東国三社巡りを計画されている、皆さんの

ご参考になれば幸いです\(^o^)/

 

 

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